◆マニラの大学で日本語教師、苦労が大きいだけ、喜びもひとしおです。
Mr.A.T フィリピン
派遣先はマニラの私立デラザール大学。国際関係学科の日本語クラスを担当した。
ネイティブの教師は私一人。他のフィリピン人講師との打ち合わせもなく最初は戸惑ったが、かえって自分の裁量で進められるのが楽しかった。以前から日本語教師の養成講座を受講していたので、その知識を総動員し、毎回の教案・教材作り、そして評価に取り組んだ。
授業は基本的に日本語で進めたが、学生はかなり上手に英語を話すので、ここという時にも意思疎通には困らなかった。実際に教壇で体を張ってみてはじめて分かったことは多い。始業10分前に完成した教材が、授業でうまく使えた時の嬉しさ、学生の言い間違いの原因を探るときの謎解きのような面白さ、、、。
1年の派遣期間を終えて、そのまま大学の講師として採用という話しもあった。しかし我流で続けるよりは、他の教師からもっと技を学べる環境にいたいと思い帰国。
教員養成講座に通った日本語学校で職を得られたが、その際にマニラでの経験をキャリアとして認めてもらえたのはいうまでもない。
Mr.A.T フィリピン
派遣先はマニラの私立デラザール大学。国際関係学科の日本語クラスを担当した。
ネイティブの教師は私一人。他のフィリピン人講師との打ち合わせもなく最初は戸惑ったが、かえって自分の裁量で進められるのが楽しかった。以前から日本語教師の養成講座を受講していたので、その知識を総動員し、毎回の教案・教材作り、そして評価に取り組んだ。
授業は基本的に日本語で進めたが、学生はかなり上手に英語を話すので、ここという時にも意思疎通には困らなかった。実際に教壇で体を張ってみてはじめて分かったことは多い。始業10分前に完成した教材が、授業でうまく使えた時の嬉しさ、学生の言い間違いの原因を探るときの謎解きのような面白さ、、、。
1年の派遣期間を終えて、そのまま大学の講師として採用という話しもあった。しかし我流で続けるよりは、他の教師からもっと技を学べる環境にいたいと思い帰国。
教員養成講座に通った日本語学校で職を得られたが、その際にマニラでの経験をキャリアとして認めてもらえたのはいうまでもない。
